手ぬぐい「六瓢之図」(化粧箱付き)※米国産海島綿使用
六つの瓢箪で「無病息災」を願う、縁起の良い図柄です。
※最高品質の綿『アメリカン・シーアイランドコットン』を使用。詳しくはこちら
※こちらの手ぬぐいは短辺の端を縫製しております。
※オリジナル化粧箱入り
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この商品についてのレビュー
素 材:綿 100%
六人の女流画家について
【上村松園】(1875~1949)
1875(明治8)年、京都府京都市下京区の葉茶屋の次女として生まれる。京都府画学校(現・京都市立芸術大学)の教授であった円山派の画家・鈴木松年に師事。90年、松園15歳のとき、第3回内国勧業博覧会に出品した美人画が英国の王族の買い上げとなり評判となる。
【秋野不矩】(1908~2001)
静岡県に生まれる。1929年、西山翠嶂(すいしょう)が主宰する画塾「青甲社」に入塾。1930年、第十一回帝展に《野を帰る》を出品し、初入選。1949年、京都市立美術専門学校(現・京都市立芸術大学)助教授に就任。1951年、第一回上村松園賞受賞。1962年、インドのビスバーバラティ大学(現・タゴール国際大学)に客員教授として招かれ、一年間滞在。
【伊藤小坡】(1877~1998)
伊勢市にある猿田彦神社の宮司の長女として生まれる。1889年、この頃京都に出て、森川曽文に師事。1900年、曽文が病のため谷口香?誌に師事し、「小坡(しょうは)」の雅号を貰う。1928年、竹内栖鳳が主宰する竹杖会に入塾。女性像を多く描き、文展、帝展を中心に京都画壇で活躍した。
【梶原緋佐子】(1896~1988)
京都市に生まれる。本名、久。1909年、府立第二高等女学校に入学し、図画教師であった千種掃雲に画才を認められる。1914年、同校を卒業し、掃雲の勧めで菊池契月に入門。1919年、第二回帝展で《古着市》が初入選。以後、たびたび入選する。1930年、大阪府女子専門学校日本画科の講師となる。
【三谷十糸子】(1907~1992)
兵庫県に生まれる。1925年、女子美術学校日本画科を首席で卒業。卒業後は京都へ移り、西山翠嶂(すいしょう)の画塾「青甲社」に入門する。また、卒業にあたり雅号を自選し「十糸子(としこ)」とする。1926年、第一回聖徳太子奉讃美術展に《猫と少女》を出品し、入選。1977年、勲三等瑞宝章を受章。
【森川青坡】(1900~不明)
長崎県に生まれる。本名は義子。京都に出て、西山翠嶂(すいしょう)に師事した。大正末の聖徳太子奉賛展に出品した後、昭和初期の帝国美術院美術展覧会(帝展)に連続して入選した。30歳代半ばの1934(昭和9)年、大礼記念京都美術展に出品した以降は、翠嶂が主宰する青甲社展で作品を発表した。
■最高品質の綿『アメリカン・シーアイランドコットン』を使用した手ぬぐい
こちらの手ぬぐいは、奇跡の綿花と称される『アメリカン・シーアイランドコットン』を使用した生地を使っています。 『アメリカン・シーアイランドコットン』はごく限られた地域で栽培される、強くしなやかで自然な光沢としなやかな肌触りが魅力の美しい綿花です。
『アメリカン・シーアイランドコットン』の超長綿(非常に長い繊維)を使用したコーマ糸(短い繊維やネップなどを取り除いてできた、毛羽の少ないつやのある糸のこと)で手ぬぐい生地を織りあげました。このなめらかな生地に友禅染で染めた、色鮮やかで美しく上質な仕上がりの手ぬぐいです。
~手ぬぐいのお手入れについて~
手ぬぐいは江戸の昔より小巾木綿で作られていて、長さ方向は様々な用途に対応するため、切りっぱなしになっています。そのため、使用しているうちに横糸が少しずつほつれてきますが、何度かお洗濯いただくと馴染んでまいります。ほつれてきた横糸は無理に引っ張ったりせずに、はさみで余分な糸をカットしてください。~お洗濯について~
洗濯機などのたっぷりの水で洗って下さい。濃い色の商品は色落ちする可能性がございますので、他のものと分けてお洗濯下さい。長時間の浸け置きや濡れたままの放置、生地が重なった状態で干したりしますと色移りの原因となります。洗濯後はすみやかに形を整えて陰干ししてください。

