永楽屋について

屋号について

創業以前、織田信長公の御用商人として活躍し『永楽屋』の屋号と細辻の姓を拝領。その後、江戸時代初期の元和元年(1615年)に綿布商として創業。現在では手ぬぐいや風呂敷などを始めとした日本最古の綿布商として京都にて十四代、400年に渡って商いを続けております。

創業当時より伝え継がれてきました「教訓大黒舞」
現在も永楽屋の社訓として、社員給料支払明細に印字され日頃より訓じております。

永楽屋の歴史

    • 1534年
      天文三年

      織田信長誕生。後に永楽屋の商標と細辻姓を拝領。

    • 1615年
      元和元年

      永楽屋と大黒屋が合併し絹布問屋を創業。
      その後太物問屋となる。

    • 1716年
      享保元年

      (初代伊兵衛)浄栄六十四歳
      (二代目伊兵衛)格賢三十一歳

    • 1718年
      享保三年

      格賢長男生

    • 1719年
      享保四年

      格賢長男夭

    • 1721年
      享保六年

      格賢女生
      五月二十三日 格賢の実父須羽浄雲没八十歳
      浄雲の妻(格賢の母)六十七歳

    • 1722年
      享保七年

      格賢女夭

    • 1730年
      享保十五年

      浄栄没七十八歳
      格賢四十四歳

    • 1731年
      享保十六年

      浄栄妻没

    • 1733年
      享保十八年

      五月六日 浄栄妻(寿西)七十九歳
      格賢四十七歳

    • 1735年
      享保二十年

      格賢四十九歳
      (三代目伊兵衛)富寿生
      富寿の実父須羽貢隆 二十七歳
      実母吟二十歳

    • 1738年
      元文三年

      格賢五十二歳
      富寿四歳
      (四代目伊兵衛)隆穀生
      吟二十三歳

    • 1739年
      元文四年

      九月二日 吟(妙寿)没二十四歳

    • 1740年
      元文五年

      格賢妻チヨ没

    • 1742年
      寛保三年

      富寿九歳 細辻氏に入る
      格賢五十七歳 隆穀六歳

    • 1744年
      延享元年

      格賢五十八歳 後妻ヤソとの間にツル生
      即ち後に富寿の妻たり

    • 1748年
      寛延元年

      格賢六十二歳 富寿十四歳
      ツル五歳 貢隆四十歳
      隆穀十一歳 中田利兵衛没四十六歳

    • 1750年
      寛延三年

      格賢六十四歳 富寿十六歳 白鶴寿老人の扇を受く

    • 1751年
      宝暦元年

      格賢六十五歳 富寿十七歳
      ツル八歳 富寿後妻ミテ生

    • 1760年
      宝暦十年

      格賢七十四歳 富寿二十六歳
      ツル十七歳
      この頃 富寿ツル結婚 ミテ十歳
      この年江戸大火あり

    • 1761年
      宝暦十一年

      格賢七十五歳 富寿二十七歳
      ツル十八歳 長男生まれて夭す
      空米相場の禁出づ

    • 1764年
      明和元年

      富寿三十歳 ツル二十一歳 ミテ十四歳

    • 1767年
      明和四年

      富寿三十三歳 長女従生
      ツル没二十四歳 ミテ十七歳

    • 1773年
      安永元年

      富寿三十八歳 従六歳
      ミテ二十ニ歳 貢隆六十四歳

    • 1775年
      安永四年

      富寿四十一歳 従九歳
      ミテ二十五歳 貢隆六十七歳
      銀及銀箔の私売の禁あり

    • 1779年
      安永八年

      富寿四十五歳 従没十三歳
      ミテ二十九歳

    • 1780年
      天明元年

      富寿四十七歳 ミテ三十一歳

    • 1784年
      天明四年

      富寿五十歳 家督を隆穀に譲りて隠居す
      隆穀四十七歳

    • 1786年
      天明六年

      富寿五十二歳 ミテ三十六歳 貢隆七十八歳
      十月 隆穀妻シマ没三十七歳
      十二月 隆穀没四十九歳

    • 1787年
      天明七年

      富寿五十三歳 再び家督を嗣ぐ
      貢隆没七十九歳
      倹約の令出づ

    • 1788年
      天明八年

      富寿五十四歳 ミテ三十八歳
      正月京都大火

    • 1789年
      寛政元年

      富寿五十五歳
      三月奢侈の禁出づ

    • 1791年
      寛政三年

      富寿五十七歳 ツルの母ヤソ没

    • 1793年
      寛政五年

      富寿五十九歳
      (五代目伊兵衛)宗朋を養子として迎ふ二十二歳

    • 1795年
      寛政七年

      富寿六十一歳
      ミテ四十五歳 宗朋に家督を譲る
      宗朋の長女信生

    • 1798年
      寛政十年

      富寿六十四歳 ミテ四十八歳
      宗朋二女テル生 信四歳

    • 1800年
      寛政十二年

      富寿六十六歳 ミテ五十歳 不逮録成る

    • 1802年
      享和ニ年

      富寿六十八歳 ミテ五十二歳 宗朋長男直吉生

    • 1803年
      享和三年

      七月六日 富寿没六十九歳
      ミテ五十三歳(後六十五歳没)
      信九歳 テル六歳 直吉二歳 隆穀に家督を譲る

    • 1806年
      享和六年

      宗朋に家督を譲る

    • 1844年
      文化十一年

      六月二十一日 宗朋没四十三歳
      (六代目伊兵衛)常親に家督を譲る

    • 1850年
      嘉永三年

      四月十三日 常親没四十六歳
      (七代目伊兵衛)富春三十三歳に家督を譲る
      富春壮年時代に隠居分家す

    • 1863年
      文久三年

      三月六日富春没四十六歳

    • 1876年
      明治九年

      (九代目伊兵衛)伊兵衛二十二歳
      洛西嵯峨友川家より迎え家督を譲る
      永楽屋細辻家中興の祖

    • 1907年
      大正六年

      九月十五日 九代目伊兵衛没六十三歳
      (十代目伊兵衛)伊太郎二十五歳に家督を譲る

    • 1943年
      昭和十八年

      一月九日 十代目伊兵衛没六十一歳
      (十一代目伊兵衛)伊一三十四歳に家督を譲る

    • 1950年
      昭和二十五年

      京都市中京区三条通烏丸東入ル
      創業の地で綿織物加工卸商再開

    • 1959年
      昭和三十四年

      現会社を設立、資本金四百万円。
      会社設立…企業発展に伴い法人に改組。

    • 1964年
      昭和三十九年

      京都市中京区烏丸通松原下ルに鉄筋コンクリート三階建
      (一部五階)社屋を新築し移転する。
      国際元年…東京オリンピックが開催され、
      日本が国際化の伴う国際電話局開設のため、
      三条永楽屋として約三百五十年間親しまれた
      創業の地をやむなく移転。

    • 1966年
      昭和四十一年

      福岡市に事務所を開設。

    • 1969年
      昭和四十四年

      知事表彰…創業百年以上の老舗として
      京都府より表彰される。

    • 1972年
      昭和四十七年

      鉄筋コンクリート六階建てに増改築する。

    • 1974年
      昭和四十九年

      資本金は逐次増資を重ね、二千六百万円となる。

    • 1986年
      昭和六十一年

      オリジナルタオルブランド
      「倭の彩(やまとのいろ)」発表

    • 1987年
      昭和六十二年

      オリジナルタオルブランド「新美感」発表

    • 1989年
      昭和六十四年

      正月飾りなどを幅広く扱う「五月や」発表

    • 1990年
      平成二年

      京都市中京区室町三条上ルに
      鉄筋コンクリート六階建社屋を新築し移転する。
      新時代…十一代目伊兵衛の念願であった
      創業地近くの三条へ帰還。
      二十一世紀を見据えたインテリジェントビルを建築。
      三条エイラクヤの新時代が始まる。

    • 2000年
      平成十二年

      京三条町家手拭 永楽屋細辻伊兵衛商店 再開。
      ミレニアムの二千年、先人の遺産である明治初期から
      昭和にかけての手ぬぐいを復刻し、「京三条町家手拭」
      として初の小売事業として「永楽屋細辻伊兵衛商店」を
      スタート、十四世細辻伊兵衛襲名。

    • 2002年
      平成十四年

      永楽屋細辻伊兵衛商店 四条店オープン。
      永楽屋細辻伊兵衛商店 祇園店オープン。

    • 2003年
      平成十五年

      永楽屋通販スタート

    • 2004年
      平成十六年

      RAAKブランド発表。
      RAAK通販スタート。

    • 2006年
      平成十八年

      大黒屋 ブランド発表。

    • 2007年
      平成十九年

      永楽屋細辻伊兵衛商店 宇治平等院店オープン。
      帆布鞄 伊兵衛Ihee ブランド発表。

    • 2008年
      平成二十年

      永楽屋細辻伊兵衛商店 京都駅八条口店オープン。

    • 2009年
      平成二十一年

      京呉ふく ほそ辻オープン。

    • 2010年
      平成二十二年

      社名を江戸初期創業当時の「永楽屋」に戻す。

    • 2011年
      平成二十三年

      Shinancienブランド発表。

    • 2012年
      平成二十四年

      ほそつじいへえTEAHOUSE
      supported by MLESNA 祇園店オープン。

    • 2013年
      平成二十五年

      十四世細辻伊兵衛インドネシアに招かれて講演。

    • 2014年
      平成二十六年

      永楽屋細辻伊兵衛商店祇園店に
      「市川海老蔵コラボショップ」オープン。
      ほそつじいへえTEAHOUSE
      supported by MLESNA祇園店
      移転リニューアルオープン。

    • 2015年
      平成二十七年

      創業四百年を機に現当主による個展
      「十四世・細辻伊兵衛てぬぐいアート展」を
      スタート(東京青山・京都)

    • 2016年
      平成二十八年

      個展「十四世・細辻伊兵衛てぬぐいアート展」を
      京都・福岡で開催

    • 2017年
      平成二十九年

      個展「十四世・細辻伊兵衛てぬぐいアート展」を
      京都・福岡で開催

    • 2018年
      平成三十年

      個展「十四世・細辻伊兵衛てぬぐいアート展」を
      京都で開催

    • 2019年
      令和元年

      永楽屋 祇園花見小路オープン
      個展「十四世・細辻伊兵衛てぬぐいアート展」を
      京都で開催
      永楽屋細辻伊兵衛商店 四条店移転
      リニューアルオープン。

    • 2020年
      令和二年

      個展「十四世・細辻伊兵衛てぬぐいアート展」を
      京都で開催

    • 2022年
      令和四年

      永楽屋の歴代当主の名を冠した
      一般財団法人細辻伊兵衛美術館 開館

    • 1534年
      天文三年

      織田信長誕生。後に永楽屋の商標と細辻姓を拝領。

    • 1615年
      元和元年

      永楽屋と大黒屋が合併し絹布問屋を創業。
      その後太物問屋となる。

    • 1716年
      享保元年

      (初代伊兵衛)浄栄六十四歳
      (二代目伊兵衛)格賢三十一歳

    • 1718年
      享保三年

      格賢長男生

    • 1719年
      享保四年

      格賢長男夭

    • 1721年
      享保六年

      格賢女生
      五月二十三日 格賢の実父須羽浄雲没八十歳
      浄雲の妻(格賢の母)六十七歳

    • 1722年
      享保七年

      格賢女夭

    • 1730年
      享保十五年

      浄栄没七十八歳
      格賢四十四歳

    • 1731年
      享保十六年

      浄栄妻没

    • 1733年
      享保十八年

      五月六日 浄栄妻(寿西)七十九歳
      格賢四十七歳

    • 1735年
      享保二十年

      格賢四十九歳
      (三代目伊兵衛)富寿生
      富寿の実父須羽貢隆 二十七歳
      実母吟二十歳

    • 1738年
      元文三年

      格賢五十二歳
      富寿四歳
      (四代目伊兵衛)隆穀生
      吟二十三歳

    • 1739年
      元文四年

      九月二日 吟(妙寿)没二十四歳

    • 1740年
      元文五年

      格賢妻チヨ没

    • 1742年
      寛保三年

      富寿九歳 細辻氏に入る
      格賢五十七歳 隆穀六歳

    • 1744年
      延享元年

      格賢五十八歳 後妻ヤソとの間にツル生
      即ち後に富寿の妻たり

    • 1748年
      寛延元年

      格賢六十二歳 富寿十四歳
      ツル五歳 貢隆四十歳
      隆穀十一歳 中田利兵衛没四十六歳

    • 1750年
      寛延三年

      格賢六十四歳 富寿十六歳 白鶴寿老人の扇を受く

    • 1751年
      宝暦元年

      格賢六十五歳 富寿十七歳
      ツル八歳 富寿後妻ミテ生

    • 1760年
      宝暦十年

      格賢七十四歳 富寿二十六歳
      ツル十七歳
      この頃 富寿ツル結婚 ミテ十歳
      この年江戸大火あり

    • 1761年
      宝暦十一年

      格賢七十五歳 富寿二十七歳
      ツル十八歳 長男生まれて夭す
      空米相場の禁出づ

    • 1764年
      明和元年

      富寿三十歳 ツル二十一歳 ミテ十四歳

    • 1767年
      明和四年

      富寿三十三歳 長女従生
      ツル没二十四歳 ミテ十七歳

    • 1773年
      安永元年

      富寿三十八歳 従六歳
      ミテ二十ニ歳 貢隆六十四歳

    • 1775年
      安永四年

      富寿四十一歳 従九歳
      ミテ二十五歳 貢隆六十七歳
      銀及銀箔の私売の禁あり

    • 1779年
      安永八年

      富寿四十五歳 従没十三歳
      ミテ二十九歳

    • 1780年
      天明元年

      富寿四十七歳 ミテ三十一歳

    • 1784年
      天明四年

      富寿五十歳 家督を隆穀に譲りて隠居す
      隆穀四十七歳

    • 1786年
      天明六年

      富寿五十二歳 ミテ三十六歳 貢隆七十八歳
      十月 隆穀妻シマ没三十七歳
      十二月 隆穀没四十九歳

    • 1787年
      天明七年

      富寿五十三歳 再び家督を嗣ぐ
      貢隆没七十九歳
      倹約の令出づ

    • 1788年
      天明八年

      富寿五十四歳 ミテ三十八歳
      正月京都大火

    • 1789年
      寛政元年

      富寿五十五歳
      三月奢侈の禁出づ

    • 1791年
      寛政三年

      富寿五十七歳 ツルの母ヤソ没

    • 1793年
      寛政五年

      富寿五十九歳
      (五代目伊兵衛)宗朋を養子として迎ふ二十二歳

    • 1795年
      寛政七年

      富寿六十一歳
      ミテ四十五歳 宗朋に家督を譲る
      宗朋の長女信生

    • 1798年
      寛政十年

      富寿六十四歳 ミテ四十八歳
      宗朋二女テル生 信四歳

    • 1800年
      寛政十二年

      富寿六十六歳 ミテ五十歳 不逮録成る

    • 1802年
      享和ニ年

      富寿六十八歳 ミテ五十二歳 宗朋長男直吉生

    • 1803年
      享和三年

      七月六日 富寿没六十九歳
      ミテ五十三歳(後六十五歳没)
      信九歳 テル六歳 直吉二歳 隆穀に家督を譲る

    • 1806年
      享和六年

      宗朋に家督を譲る

    • 1844年
      文化十一年

      六月二十一日 宗朋没四十三歳
      (六代目伊兵衛)常親に家督を譲る

    • 1850年
      嘉永三年

      四月十三日 常親没四十六歳
      (七代目伊兵衛)富春三十三歳に家督を譲る
      富春壮年時代に隠居分家す

    • 1863年
      文久三年

      三月六日富春没四十六歳

    • 1876年
      明治九年

      (九代目伊兵衛)伊兵衛二十二歳
      洛西嵯峨友川家より迎え家督を譲る
      永楽屋細辻家中興の祖

    • 1907年
      大正六年

      九月十五日 九代目伊兵衛没六十三歳
      (十代目伊兵衛)伊太郎二十五歳に家督を譲る

    • 1943年
      昭和十八年

      一月九日 十代目伊兵衛没六十一歳
      (十一代目伊兵衛)伊一三十四歳に家督を譲る

    • 1950年
      昭和二十五年

      京都市中京区三条通烏丸東入ル
      創業の地で綿織物加工卸商再開

    • 1959年
      昭和三十四年

      現会社を設立、資本金四百万円。
      会社設立…企業発展に伴い法人に改組。

    • 1964年
      昭和三十九年

      京都市中京区烏丸通松原下ルに
      鉄筋コンクリート三階建(一部五階)社屋を
      新築し移転する。
      国際元年…東京オリンピックが開催され、
      日本が国際化の伴う国際電話局開設のため、
      三条永楽屋として約三百五十年間親しまれた
      創業の地をやむなく移転。

    • 1966年
      昭和四十一年

      福岡市に事務所を開設。

    • 1969年
      昭和四十四年

      知事表彰…創業百年以上の老舗として
      京都府より表彰される。

    • 1972年
      昭和四十七年

      鉄筋コンクリート六階建てに増改築する。

    • 1974年
      昭和四十九年

      資本金は逐次増資を重ね、二千六百万円となる。

    • 1986年
      昭和六十一年

      オリジナルタオルブランド
      「倭の彩(やまとのいろ)」発表

    • 1987年
      昭和六十二年

      オリジナルタオルブランド「新美感」発表

    • 1989年
      昭和六十四年

      正月飾りなどを幅広く扱う「五月や」発表

    • 1990年
      平成二年

      京都市中京区室町三条上ルに
      鉄筋コンクリート六階建社屋を新築し移転する。
      新時代…十一代目伊兵衛の念願であった
      創業地近くの三条へ帰還。
      二十一世紀を見据えたインテリジェントビルを建築。
      三条エイラクヤの新時代が始まる。

    • 2000年
      平成十二年

      京三条町家手拭 永楽屋細辻伊兵衛商店 再開。
      ミレニアムの二千年、先人の遺産である明治初期から
      昭和にかけての手ぬぐいを復刻し、「京三条町家手拭」
      として初の小売事業として「永楽屋細辻伊兵衛商店」を
      スタート、十四世細辻伊兵衛襲名。

    • 2002年
      平成十四年

      永楽屋細辻伊兵衛商店 四条店オープン。
      永楽屋細辻伊兵衛商店 祇園店オープン。

    • 2003年
      平成十五年

      永楽屋通販スタート

    • 2004年
      平成十六年

      RAAKブランド発表。
      RAAK通販スタート。

    • 2006年
      平成十八年

      大黒屋 ブランド発表。

    • 2007年
      平成十九年

      "永楽屋細辻伊兵衛商店 宇治平等院店オープン。
      帆布鞄 伊兵衛Ihee ブランド発表。

    • 2008年
      平成二十年

      永楽屋細辻伊兵衛商店 京都駅八条口店オープン。

    • 2009年
      平成二十一年

      京呉ふく ほそ辻オープン。

    • 2010年
      平成二十二年

      社名を江戸初期創業当時の「永楽屋」に戻す。

    • 2011年
      平成二十三年

      Shinancienブランド発表。

    • 2012年
      平成二十四年

      ほそつじいへえTEAHOUSE
      supported by MLESNA 祇園店オープン。

    • 2013年
      平成二十五年

      十四世細辻伊兵衛インドネシアに招かれて講演。

    • 2014年
      平成二十六年

      永楽屋細辻伊兵衛商店祇園店に
      「市川海老蔵コラボショップ」オープン。
      ほそつじいへえTEAHOUSE
      supported by MLESNA祇園店
      移転リニューアルオープン。

    • 2015年
      平成二十七年

      創業四百年を機に現当主による個展
      「十四世・細辻伊兵衛てぬぐいアート展」を
      スタート(東京青山・京都)

    • 2016年
      平成二十八年

      個展「十四世・細辻伊兵衛てぬぐいアート展」を
      京都・福岡で開催

    • 2017年
      平成二十九年

      個展「十四世・細辻伊兵衛てぬぐいアート展」を
      京都・福岡で開催

    • 2018年
      平成三十年

      個展「十四世・細辻伊兵衛てぬぐいアート展」を
      京都で開催

    • 2019年
      令和元年

      永楽屋 祇園花見小路オープン
      個展「十四世・細辻伊兵衛てぬぐいアート展」を
      京都で開催
      永楽屋細辻伊兵衛商店 四条店移転
      リニューアルオープン。

    • 2020年
      令和二年

      個展「十四世・細辻伊兵衛てぬぐいアート展」を
      京都で開催

    • 2022年
      令和四年

      永楽屋の歴代当主の名を冠した
      一般財団法人細辻伊兵衛美術館 開館

  • 十四世 細辻伊兵衛

  • 1964年生まれ。おとめ座。
    株式会社永楽屋 代表取締役社長
    一般財団法人 細辻伊兵衛美術館 館長
    一般社団法人 日本バレエ•リュス&バレエ•スエドワ協会 代表理事

    四条繁栄会商店街振興組合 理事
    智恵光院檀家総代
    袋中庵檀家総代
    京都伝統産業青年会直前会長。

    高校時代は卓球でインターハイに出場。
    自動車メーカーのエンジニアを経てアパレル業界へ転身。
    1985年 「Yin & Yang」ブランドプレステージショップの店長を経て、独立を果たす。


  • 1992年 株式会社永楽屋入社。
    1994年 代表取締役就任。
    1999年 代表取締役社長就任。
    2000年 十四世細辻伊兵衛襲名。
    永楽屋初となる店舗展開をスタート。
    以降、精力的に改革を行い京の老舗型SPAを確立
    2012年 永楽屋初の飲食事業となる「ほそつじいへえTEAHOUSE」を祇園にオープン
    2015年 永楽屋創業400年を機に、東京青山スパイラルにて自身初となる個展「14世・細辻伊兵衛手ぬぐいアート展」を開催し好評を得る
    同年、京都でも個展を開催(京都髙島屋1Fゆとりうむ)
    2016年 九州初開催となる個展「14世・細辻伊兵衛てぬぐいアート展」を福岡 天神イムズにて開催
    2017年 14世・細辻伊兵衛てぬぐいアート『あっぱれ滝桜』展を開催
    2018年 京都伝統産業青年会 会長に就任。
    14世・細辻伊兵衛てぬぐいアート『寿~把~屏~風~(ス~パ~ビョ~ブ~)』を発表。
    2019年 14世・細辻伊兵衛てぬぐいアート『絢爛屏風「祇園祭山鉾図」』発表
    2020年 京都髙島屋1Fゆとりうむにて、世界的に活躍する具体美術協会のラストメンバー森内敬子による、長刀鉾を描いた作品をもとに制作した手ぬぐい「長刀鉾・赤」「長刀鉾・金銀」を発表。
    2020年 ほそつじいへえTEAHOUSE supported by MLESNAにて
    『永楽屋 14世・細辻伊兵衛×森内敬子「縷 Lu -如来に捧げた善の糸-」』と題し、具体美術協会のラストメンバー森内敬子による作品「縷Lu」など、合同展示を開催
    2022年 永楽屋が所蔵する江戸・明治・大正・昭和・平成・令和6時代の手ぬぐいを展示する「細辻伊兵衛美術館」を開館。館長に就任。
    2023年 日本バレエ•リュス&バレエ•スエドワ協会を設立 初代代表理事に就任


  • 伊兵衛日記
  • 細辻伊兵衛 Instagram
  • テヌグラファー 細辻伊兵衛

  • 永楽屋創業400年を機に、もっと多くの方々へ手ぬぐいの魅力を発信すべく個展をスタート

    2015年 永楽屋創業400年を機に、東京青山・スパイラルにて自身初となる個展「14世・細辻伊兵衛手ぬぐいアート展」を開催し好評を得る。同年、京都でも個展を開催(京都髙島屋1Fゆとりうむ)

    2016年 九州初開催となる個展「14世・細辻伊兵衛手ぬぐいアート展」を福岡天神イムズにて開催。

    夏には2年目となる京都髙島屋1Fでの個展を開催し話題となる。

    2017年 福岡天神イムズB2Fイムズプラザにて「あっぱれ滝桜」と題した作品を展示。

    最長28.5mの2種の桜柄ガーゼ手ぬぐいを計72本、総メーター数約1,300mに及ぶ作品を館内の吹き抜けに展示

    2017年京都髙島屋1Fゆとりうむにて「寿~把~屏~風~(ス~パ~ビョ~ブ~)」と題し、祇園祭関連の手ぬぐいを使用した金屏風に、それぞれ永楽通宝を模した車輪や祇園祭に関する金工を施した作品6点をゆとりうむとメインウィンドーに展示。

    2018年(平成30年)7月1日~7月10日-京都髙島屋1Fゆとりうむにて
    2018年版「寿~把~屏~風~(ス~パ~ビョ~ブ~)」を展示。メインウィンドーには昭和初期柄の京都の1年間の行事を描いた手ぬぐいで制作の「年中行事屏風」を展示。

    2019年(令和元年)7月1日~7月9日-京都髙島屋1Fゆとりうむにて
    『絢爛屏風「祇園祭山鉾図」』と題した作品展示。6枚の手ぬぐいサイズのキャンバスに描いた祇園祭の風景をもとにレイアウトした手ぬぐい「絢爛屏風『祇園祭山鉾図』」を発表。

    2020年(令和2年)7月1日~7月9日-京都髙島屋1Fゆとりうむ
    世界的に活躍してきた具体美術協会のラストメンバー森内敬子による、長刀鉾を描いた作品をもとに制作した手ぬぐい「長刀鉾・赤」「長刀鉾・金銀」を発表。

    2020年(令和2年)12月4日~12月13日-ほそつじいへえTEAHOUSE supported by MLESNA
    『永楽屋 14世・細辻伊兵衛×森内敬子「縷 Lu -如来に捧げた善の糸-」』と題し、具体美術協会のラストメンバー森内敬子による作品「縷Lu」を中心とした展示や「縷Lu」を忠実に染色で表現した手ぬぐいなどを合同展示。


歴代 細辻伊兵衛

  • 一世

  • 四九歳のときに主家である永楽屋から家督を受け継ぎ、永楽屋細辻伊 兵衞を名のる。肖像画がないため、三世が手紙文を代替して、掛け軸にした。一世は忠臣蔵で知られる大石内蔵助とも親しく、返礼に手紙、文机などを贈られ、家宝としていた。昭和になって「由良之助」という商品を発売したのも一世のご縁を蘇られたものである。
  • 二世

  • 養子として細辻家を継いだ二世は、清貧であることを重んじ、華美、浮利をいましめた。その暮らしぶりを三世が「不逮録」に残している。この教えはのちの「教訓大黒舞」につながるものである。「天性聡明」な人柄で、この時代の景気の波に足をすくわれずに上手にのって、家業を成長へと導いた功績は、「細辻家中興の祖」として高く評価されている。
  • 三世

  • 養子として家業を継ぐ。倹約を旨としながらも、風雅を好んだ三世は萬年先生とも呼ばれた。三世の人柄は、江戸中期の経済学者、海保青陵が著した『諭民談』にも描かれている。一度五〇歳で隠居するが、四世の早逝から家業に復帰した。
  • 四世

  • 養子として継いだが、二年で突然はかなくなった。四世の業績で忘れることができないのは「教訓大黒舞」という家訓を残したことだ。家業の柱となるこの家訓は、今も永楽屋に息づいている。「一に 一るいむつまじう」(一族仲良くすること)に始まる「教訓大黒舞」は、京都の老舗の家訓として、京都の商い文化の一翼を担ってきた。
  • 五世

  • 十世が残した記録『永楽帖』に祖先の事績が書かれているが、5世から七世までの記述はない。この間「天明の大火」(天明八年、1788年)、のちの「蛤御門の変」(元治元年、1864年)などで資料が焼失したものと思われる。永楽屋は天明の頃には京都の大富豪という評価を得ていた。
  • 六世

  • 五世が享年四三歳で没したあと、六世が家督を継いでいる。この頃は、日本近海にロシアやイギリスの船が現れるようになる。このあと嘉永六年(1853年)にはペリーの黒船来航があり、世情が一気に幕末へと雪崩れ込む時代である。
  • 七世

  • 七世には子供がいなかったために養子、亀太郎を二歳のときに跡継ぎとして迎え入れ、店主にふさわしい教育をし、育てようとしたが、七世は四六歳で早逝した。亀太郎はまだ幼く、一二歳であったため、成人するのを待って家督を継いでいる。この頃は、幕末から明治へと向かう日本の大変革期にあたっており、家業も大きな変動を余儀なくされた時期である。
  • 八世

  • 八世は、東京遷都で衰退の兆しのあった京都を復興させるための事業、京都博覧会などに参画し、力を尽くした。幅広い文化人との交流があり、幕末に流行った意匠手拭などに関心のあった風俗史家江馬務と永楽屋との結びつきをつけるなど、文化面での功績が大いに評価されている。桂園派歌人、細辻昌雄として知られている。
  • 九世

  • 家業復興のために優秀な若手の手代を抜擢し、九世を襲名させている。九世は、質素倹約を旨とし、いたって倹約家の暮らしぶりで、まさに二世を地で行く働き者であった。家訓である「教訓大黒舞」を受け継ぐ仕事振りで、明治期から昭和一五年頃までの永楽屋の繁栄の礎を築いた。二世に次いで「細辻家の中興の祖」として称される所以である。
  • 十世

  • 十世は、旺盛な事業意欲のもち主で、家業には積極姿勢で臨んでいる。九世と同様に「教訓大黒舞」を旨とし、質素倹約につとめた。社会公共事業、慈善事業にも関心をもち、当時としてはさきがけ的な社会貢献を行っている。また画家中島荘陽、江馬務など文化人の支援も行っており、そうした支援の中から意匠手拭「京都の年中行事十二ヶ月」がつくられ人気を博した。
  • 十一世

  • 十一世は十世の長男。家業繁栄の時代を十世の片腕となって働いた。 十世が昭和一八年に六一歳で亡くなり、三四歳の伊一が十一世を継いだ。戦争の時代は、強制疎開措置で家屋が取り壊され、木綿は国家の統制品となり、休業状態となった。戦後、家業を再開。昭和三四年(1959年)に株式会社永楽屋とし、業績の伸長を果たした。
  • 十二世

  • 十一世の長男であり、早くから父親を助けて家業に従事していた。昭和三九年、三〇歳のときに永楽屋の家督を引き継いだ。生活欧風化の流れのなか、これまでの和装品から贈答用タオルを主力商品とすることを決断し、それに向かってまい進する。結果、業績を好調に伸ばしたが、この頃、海外ブランドタオルが参入してきて、この分野も競争が激しくなってくる。
  • 十三世

  • 十二世の弟にあたる十三世は、兄を支えて家業に就いていたが、十二世が早逝したため、十三世を引き受けた。高度成長の時代も過ぎ、競争激化の時代にあって、仕事の新規開拓が経営の課題になっていた。そうした困難な時代を安定した経営をめざして粉骨砕身、努力した。しかし、追い打ちをかけるような天変地異が起こった。平成七年(1995年)の阪神淡路大震災である。経営はこうした異変に影響を受けざるを得ない。
copyright(c) EIRAKUYA. All rights reserved.
Scroll to top